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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)6250号 判決 1988年3月25日

原告

門田朱美

右訴訟代理人弁護士

大澤龍司

被告(亡横井義雄訴訟承継人)

横井毬子

横井明美

横井明

横井輝明

横井陽二

横井光三

荒川曉子

右七名訴訟代理人弁護士

丸茂忍

主文

一  被告横井毬子は、原告に対し、金一五四二万六六九五円、被告横井明美、同横井明、同横井輝明、同横井陽二、同横井光三及び同荒川曉子は、原告に対し、それぞれ金二五七万一一一五円並びにこれらに対する昭和五九年九月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告横井毬子(以下、「被告毬子」という。)は原告に対し金二七五〇万円、被告横井明美(以下、「被告明美」という。)、被告横井明(以下、「被告明」という。)、被告横井輝明(以下、「被告輝明」という。)、被告横井陽二(以下、「被告陽二」という。)、被告横井光三(以下、「被告光三」という。)、被告荒川曉子(以下、「被告曉子」という。)はそれぞれ原告に対し金四五八万三三三三円及びこれに対する昭和五九年九月一三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 亡横井義雄(以下「義雄」という。)は、山口県岩国市において横井鍼灸院の名で鍼灸施術を業としていたものである。

(二) 原告は、大阪市北区曽根崎新地一丁目二の三新地東商ビルにおいてクラブ「アヴイーネ」を経営する女性(昭和一〇年九月五日生)である。

2  診療契約の締結

原告は、昭和五六年春ころから肩凝りと肝炎による倦怠感等に悩まされていたところ、昭和五八年一二月一五日及び同五九年二月一九日の二回にわたり、義雄との間で、右肩凝りと肝炎による倦怠感ないし車酔い防止について適切な鍼施術診療を内容とする鍼施術診療契約を締結した。

3  治療経過と障害

(一) 原告は、昭和五八年一二月一五日の第一回診療に際して義雄に対し、肩凝りと倦怠感を愁訴したところ、同人から「症状が軽いから二回治療すれば完治する。鍼は一五、六年経過すれば消滅する。」との説明を受け、同日、金五万円の施術代金で肩に約四本、腰に約八本、両足の膝に約四本の鍼をそれぞれ刺入・埋込み、そのまま放置する埋没鍼法の施術(鍼を経穴部に刺入した後、鍼柄を折り取り、他の鍼体部分を体内に永久に埋没させる施術方法。以下「埋没鍼法」という。)を受けた。

(二) 次いで原告は、昭和五九年二月一九日、金三万円の施術代金で義雄から、前回同様肩に約四本、腰に約八本、両足の膝に約四本の埋没鍼法による施術を受けたが、その際原告が車酔いし易いとの愁訴をしたことから、さらに左足大腿部に一本、後頸部に二本の埋没鍼法による施術を受けた(以下、この後頸部に対する埋没鍼法「本件施術」という。)。

(三) ところが、 本件施術による鍼の一本が原告の頸髄右外側に刺入して中枢神経を損傷し、原告には施術日の翌日である昭和五九年二月二〇日から臍部左側部分以下左足爪先までの部位にしびれ、痛み、しめつけ感等の異常知覚及び感覚低下の症状が、さらに、同日ころ、右眼瞼下垂、右瞳孔縮小の症状が、その後二月下旬に至っては左手にしびれが出る等の症状までもが発症した。

(四) 原告は、昭和五九年三月三日から国立循環器病センター(以下、「訴外病院」という。)に通院し、同月八日から同年五月七日まで同病院に入院して各種検査を受けたところ、右のとおり一本の鍼がC1―C2のレベルで頸髄右外側に刺入している等右症状の原因が判明し、同年四月二六日、原告は、訴外病院で頸部切開手術を受けて右鍼を除去したが、右眼瞼下垂、瞳孔縮小の症状はやや軽快したものの、疲労時にはなお右症状が発生し、又、臍部左側部分以下左足爪先までの異常知覚、感覚低下はなんらの症状改善も見ずに後遺症として症状固定した。

4  義雄の責任

義雄は、鍼灸師として注意義務に違背し次の(一)ないし(五)の債務不履行ないし過失により、適切な施術をなさず、その結果原告に対し右傷害を与えた。

(一) 埋没鍼法は、鍼柄を故意に折除して患者の体内の奥深くに鍼体を刺入させるものであり、埋没された鍼は筋肉の運動により身体のあらゆる部分に移動して組織、臓器の損傷、又その迷入による二次損傷を招来する可能性のある極めて危険な療法であり、現に鍼灸師の全国的団体である社団法人日本鍼灸師会においてその禁止の要望がなされており、しかも、鍼を摘出するためには、外科手術以外に方法がないという致命的な欠陥があるのであるから、鍼灸師は、およそ治療方法として埋没鍼法そのものを採るべきでないのに、義雄は原告に対し、埋没鍼法による本件施術をした。

(二) 仮に、埋没鍼法自体は治療方法として許容されるとしても、その危険性に鑑みれば患者の具体的症状に対する効果が十分に確認され、かつその症状が同法による以外に治療手段のないほど重篤なものである場合に限定されるべきであるというべきところ、車酔い程度の症状にあえて埋没鍼法を採らねばならない事情もないのであるから、車酔いに対する治療として埋没鍼法を採るべきでないにもかかわらず、義雄は、原告に対して埋没鍼法による本件施術をした。

(三) 仮に車酔いに対しても埋没鍼法による施術が許され、かつ効果的であるとしても、同施術の前記危険性に鑑み、義雄は原告に対し右危険性を十分に熟知させたうえ、右療法の採否につき被施術者である原告の承諾を得るべきであるのに、これを怠り、原告に右施術の危険性を告知することなく、むしろ右施術がいかに万能であるかの誇大な宣伝に終始して本件施術をした。

(四) 又、仮に車酔いに対して埋没鍼法による施術が許されるとしても、頸部は僧帽筋、肩甲挙筋、板状筋等合計大小三〇近くの筋肉が複雑に絡み合い、かつ細かく複雑な動きをする運動性の非常に高い部位であるから、同部に埋没した鍼は容易に移動する可能性が高く、また頸椎の中には頸髄が通っているのであるから頸部に鍼を埋没した場合、これが移動し、頸髄を迷走して神経を損傷する危険性が極めて高いのであるから、少なくとも頸部に右施術をすることは避けるべきであったにもかかわらず、義雄は本件施術をした。

(五) 仮に頸部への本件施術が許されるとしても、埋没された鍼に移動・切断等が生じない方法でこれをなし、万一これが事態が生じたときには、被施術者に対し、早急に外科的な治療を受けるように指示する等被施術者の安全を確保する十分な手段を講じるべきであるのに、義雄は、原告が前記症状を訴えた際、自らの責任逃れに終始してこれを怠った。

5  損傷

(一) 治療費等 四三万七三九〇円

原告は、前記傷害の治療のため、前記3(四)記載のとおり訴外病院に入通院して検査・治療・手術を受けたが、それに要した費用は次のとおりである。

(1) 治療費及び入院費 三七万七三九〇円(但し、昭和五九年八月一日までの分)

(2) 入院諸雑費 六万円(但し、一日につき一〇〇〇円を要したとして六〇日分を算出)

(二) 傷害自体による慰謝料

二〇〇万円

原告が前記傷害により受けた精神的苦痛を金銭に換算すれば二〇〇万円が相当である。

(三) 入院による収入の減少(休業損害)

三〇〇万円

原告は、本件施術当時自ら毎日クラブ「アヴイーネ」に出勤して客の接待をするとともに、同店の業務全般の手配をなしていたところ、前記傷害により前記3(四)記載のとおり訴外病院に昭和五九年三月八日から同年五月七日までの六一日間入院して右業務に従事できず、その間同店の収入が一日当たり五万円以上減少したので、本訴においては右損害のうち三〇〇万円を請求する。

(四) 後遺症に対する慰謝料

三〇〇万円

原告の前記後遺症は今後も回復する見込みは存在しないところ、右後遺症についての慰謝料としては三〇〇万円が相当である。

(五) 後遺症による労働能力喪失

四七八七万三四〇〇円

原告は現在前記後遺症のために週に二日程度店を休んでいるので原告の労働能力喪失率は二〇パーセントが相当であり、また、原告の年収は一八二五万円(五万円×三六五日)であり、さらに原告は現在四八歳で満六七歳まで就労可能であるから、前記後遺症による原告の逸失利益は次のとおり四七八七万三四〇〇円である。

5万円×365日×13.116(新ホフマン係数)×0.2=4787万3400円

(六) 弁護士費用   五〇〇万円

原告は、本件訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任し、本件訴訟で原告が勝訴したときには五〇〇万円の弁護士費用を支払うことを約した。

6  義雄は、本訴係属中の昭和六〇年一〇月一一日死亡し、同人の義務のうち、二分の一を同人の妻である被告毬子が、一二分の一づつを子である被告明美、同明、同輝明、同陽二、同光三及び同曉子が、それぞれ相続した。

よって、原告は、主位的に債務不履行、予備的に不法行為による損害賠償内金請求として、被告毬子に対し、二七五〇万円、被告明美、同明、同輝明、同陽二、同光三及び同曉子に対し、いずれも四五八万三三三三円宛及びこれらに対する本件訴状が義雄に送達された日の翌日である昭和五九年九月一三日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認めるが同(二)の事実は不知。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)及び(二)の事実中、義雄が原告の腰に約八本の鍼を使用したとの事実は否認し、その余は認める。義雄は原告の腰に二本の鍼しか使用していないものである。同3(三)及び(四)の事実中、原告主張の傷害が本件施術によることは否認し、その余の事実は不知。原告主張の後遺症が、若し指摘の鍼が中枢神経に刺入したために発症したものとするならば、これを抜去した現在、主張の後遺症が残る筈はない。

4  同4の事実は争う。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は認める。

三  被告らの抗弁及び主張

1  帰責事由(債務不履行又は過失)の不存在

鍼療法には、鍼の刺入、引抜を繰り返すもの(以下「刺入法」という。)、鍼を刺入して一定時間経過後に引き抜くもの(以下「置鍼法」という。)及び埋没鍼法等の療法が存するところ、埋没鍼法は鍼を体内に残留せしめていわゆる経穴を継続的に刺激し続ける等その施療効果が極めて大きく、東洋医術において古くから是認されている療法であって危険性も存しない。

原告は、埋没鍼法が体内に鍼を残置することを捉えてその危険性を強調するが、右は刺入法、置鍼法における通常の鍼(毫鍼(針))の折鍼の場合に当てはまることではあっても、これを埋没鍼法に当てはめるのは失当である。すなわち、刺入法等における折鍼のあった場合は、鍼が太く、又硬いうえ遊走も大きくその方向も制御されずに身体を損傷することもあるが、埋没鍼法は女性の髪程度の太さでかつぜい弱な毛鍼(針)を用い、施療に当っては当初より鍼の刺入、方向、範囲に十分な配慮をして筋肉の運動等による鍼の移動(遊走)を極力制御している。

義雄は三七、八年前から二十数万件に上る埋没鍼法による施術をなして来ているが、これによる問題は殆んどなく、本件において頸部に同法を採って施術したのは、同所が古くからいわゆる「経穴」として認められているがためであって、その場所の選定に誤りもなかった。

なお、埋没鍼法が多数の鍼療者に採られていないのは、同法に高度の技術を要するがためであり、これら鍼療者が埋没鍼法による施術の禁止を監督官庁に働きかけているものの、現在までこれが禁止されてもいない。

2  仮に然らずとしても、原告は、本件施術時に義雄の施療に関する一切の損害賠償請求権を放棄している。

四  原告の認否

1  被告らの抗弁及び主張1の主張は争う。

2  同2の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(一)(義雄の職業)、同2(診療契約の締結)、同3(一)及び(二)(治療経過、但し、義雄が原告の腰部に埋没した鍼の本数の点を除く。)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、同1(二)の事実は原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる。

二原告は、義雄が原告になした本件施術によって主張の傷害及び後遺症が発生したと主張するのに対し、被告らはその因果関係等を争うので、以下検討する。

1  <証拠>に前記争いのない事実を総合すれば、

(一)  原告は、昭和一〇年九月五日に出生し、昭和四二年ころから頑固な肩凝りに悩まされ、同時に昭和五六年九月二八日から同年一〇月三一日まで慢性肝炎により治療を受けたことがあったが、それ以外に特に病歴はなく、ことに眼や足等に異常を呈したことはなかったこと

(二)  義雄は、昭和一三年以前から、山口県岩国市において鍼灸師を業とし、同三一年以前より、長さ一寸三分(約40.39ミリメートル)太さ〇番(直径約0.14ミリメートル)の白銀針(以下「毛鍼(針)」という。)を用いて、これを被施術者の経穴に刺入し、鍼柄(竜頭)を切断したうえ、その残部を体内に埋没して残置する埋没鍼法による施術を行ない始め、横浜(後に東京)、米原にもほぼ一か月毎に出張して施術を行なうようになり、その治療の対象もぜん息、神経痛を中心として、内臓疾患等をも含む広い範囲に及び、治療件数も一〇万件を超えると自称していたこと

(三)  原告は、慢性肝炎による疲労及び肩凝りの治療方法を模索していた折、義雄の評判を聞き、昭和五八年一二月一五日の第一回診療において義雄から両肩に二本ずつ、背中及び腰に八本、両膝に二本ずつ埋没鍼法による施術を受けたこと

(四)  原告は、第一回施術の際、義雄から二回の施術で右病症が完治する旨告げられていたことから、同年二月一九日に再び同内容の施術を受けたが、その際、義雄に対し「新幹線の中で車酔いをした。」と述べたところ、同人から「ちょっと首に打っとこか。」と言われて更に後頸部付近に二本の本件施術及び左足大腿部中央付近に一本の埋没鍼法を施されたこと

(五)  しかるに、原告は右二回目の施術を受けての帰途、車内において気分が悪くなり、冷汗が出て、真青になるなどし、翌二〇日午後八時ころからは臍から下の左下半身にしびれ感、痛み、温覚低下の知覚障害が、さらに翌二一日の朝には、右眼瞼下垂、結膜充血等のホルネル症候群が発症し、びっくりして義雄に数回にわたり架電するも同人は「一週間程したら治るから辛抱せい。」と答えるのみで適切な回答をせず、更には左手が真白になり、しびれ感も自覚したことから、かかりつけの吉長内科で診察を受けたところ、医師はその症状からむしろ脊髄の腫瘍を疑ってその鑑別のため訴外病院の診察を受けるよう勧めたこと

(六)  原告は、昭和五九年三月三日から訴外病院脳内科に通院し、同月八日からは入院してレントゲン撮影、コンピューター断層撮影等の検査を受けたところ、頸部に二本の鍼が留置され、そのうち一本は第一頸椎と第二頸椎の椎間から頸髄の右外側に刺入して中枢神経を損傷している(以下、右鍼による中枢神経の損傷及び前記(五)の症状を総称して「本件傷害」という。)ことが判明し、同病院としては、前記(五)の症状は、右鍼による中枢神経の損傷によるものと考え、向後右鍼の移動によっては延髄に刺入して更に呼吸中枢を損傷する可能性もあったため、同月二六日急拠原告の頸部正中切開手術に踏み切って右鍼を除去する手術をした結果、原告は同年五月七日に退院して通院を続けたが、三か月経過の時点において、右症状のうちホルネル症候群はやや緩寛に向ったものの左下半身のしびれ感、痛み、温痛覚障害(全く感覚を喪失している。)はいささかも消失することなく(神経組織は一度損傷を受けるともはや再生しないことによる。)後遺症として症状固定し(以下、右固定した症状を「本件後遺症」という。)このため歩行障害(一〇分以上の継続歩行は困難である。)はもちろん、シャワーの熱湯を浴びても熱感覚を失っているためヤケドをするおそれがあり、例えば風呂には必ず右足から入らなければならない等の状況にあること

(七)  なお、ホルネル症候群は、大脳の視床下部から頸髄の八番ないし胸髄の一番までの間の中枢神経を通過してそこから眼に至る末梢神経のいずれかに損傷等が生じた場合に発症し、また左下半身の温痛覚異常は、脳から脊髄内の右側の前内側脊髄視床路を通って左下半身へ至る神経節のいずれかに損傷等が生じた場合に発症するものであり、これら症状が同時に発症するのは通常、脳から脊髄の八番ないし胸髄の一番に至る中枢神経に損傷等が生じた場合以外は考えられず、前記手術時の所見でも原告については前記鍼によるもの以外に右損傷の原因は存しなかったこと

が認められ、右認定に反する原告及び被告輝明本人尋問中の供述部分は採用しえず、他にこれを覆すに足る証拠はない。

以上によれば、原告に発生した本件傷害及び後遺症と義雄のなした本件施術との間には因果関係があるというべきである。

三そこで原告は、本件傷害ひいては後遺症等の発症は義雄の鍼施術上の債務不履行ないし過失に基づく旨主張するのに対し、被告らはこれを争い、帰責事由の不存在を主張するので更に審究するに

1 <証拠>によれば、

(一) 埋没鍼法は、前記のように、毛鍼(針)といわれる太さ0.14ミリメートル内外の軟弱な鍼を被施術者の体内に刺入埋没させ、さらにこれを体内に永久に残置せしめることにより神経に対する刺激効果を持続させるとの治療目的・意図をもってなされるものであるが、およそ体内に侵入した鍼はたとえ曲った鍼であっても筋肉の運動に従って移動、迷走し、諸機官を損傷する等不測の事態を招来する可能性(かかる場合鍼を摘出するには外科的手術によるしかないが、右手術自体困難な場合もある。)があり、一般の鍼灸師においてもその危険性が共通認識となっていてこれを治療方法として採用する者はごく少数であり、さらに、昭和五一年六月には社団法人日本鍼灸師会会長から厚生省医務局長に埋没鍼法の禁止指導の要望がなされ、同時に会員には埋没鍼法による治療を避けるよう指導されていること、一方、医学界においても少なくとも昭和五五年一月には右の危険性を指摘、警告する論文が発表されていたこと

(二) 義雄は、埋没鍼法は喘息、神経痛をはじめ内臓疾患等に卓効があるとし、また、同鍼法の施行においては鍼を筋繊維の流れに沿って刺入し、これを「く」の字形に曲げてその遊走迷入を防止する独自の技術を有しているとして、それまで一〇万件を超える治療をなしたと自称していたが、実際には埋没鍼が筋肉の運動で皮膚の表面に出て来ることもあり、被施術者から痛みを訴えての電話による問い合わせも絶えずあるばかりか、前記昭和五五年一月の医学界における論文において紹介された鍼の頸部脊椎管内への遊走迷入症例四例中二例は義雄の埋没鍼法により発生したもので、かつ、右のうち一例(造田キヨ子分)ほかについて義雄自身民事訴訟を提起され、造田キヨ子に対しては昭和五六年一二月成立の裁判上の和解により四八〇万円の和解金を支払ったことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2 右認定事実によると、埋没鍼法による治療方法は必ずしも確立されたものではなく、いま同法による治療一般が許容されないとすべきか否かはさて措くとしても、少なくとも身体の重要な器官の集中する部位に対する埋没鍼法は、鍼の遊走迷入を防止する確たる措置を伴なうのでなければ許されないものというほかはない。特に頸部には重要な中枢神経の束ともいうべき頸髄が存し、これを損傷すれば場合により被施術者の生命にかかわる場合もあるのであるから、義雄は原告の頸部付近に安易に埋没鍼法による施術をなすべきではなく、万一これが必要な場合は被施術者の神経(殊に中枢神経)等に損傷を与えるが如きことのないよう万全の措置、方策をとるべき注意義務がある(もしそのような措置、方策をとりえないのであれば埋没鍼法を控えるべきである。)にもかかわらずこれを怠り、自己の技能と経験を過信して漫然鍼を曲げるだけの措置によって原告の頸部にこれを刺入埋没させて本件傷害を与えたのであるから、義雄には本件診療契約上の債務不履行が存し、本件傷害についての帰責事由が存在するといわねばならない。

3  なお、被告らは、義雄の使用する鍼の性状、義雄の長年にわたる技術と経験の程度から考えて、埋没鍼法による施術に原告主張の如き危険性はなく、義雄には債務不履行も過失もない旨強調するが、これが採用できないことは前認定判示のところから明らかである。

4  さらに、被告らは、原告が義雄の施療に関する一切の損害賠償請求権を放棄した旨主張し、被告輝明本人尋問の結果及び乙第二号証の存在によれば、原告が義雄の施術を受ける際に、その治療に対し異議申立てをしない旨の文言の記載された「同意書」と題する書面(乙第二号証参照)に自ら署名し又は付添者に代署させた事実が窺われないでもないが、仮にそうであるとしてもその同意書の意味するところは、同本人尋問の結果にその記載文言を加味しても、せいぜい埋没鍼法による施術後の鍼の抜去要求や通常の痛みに対する抗議等を予め封ずるためのものであって、本件のごとき不適切な施術による損害賠償請求権をも放棄する趣旨とは解されないから、被告らの右主張は理由がない。

四損害

1  治療費等  四三万七三九〇円

原告が本件傷害により入、通院加療を余儀なくされた経緯は前二1(六)において認定のとおりであり、弁論の全趣旨によると原告はその治療費(昭和五九年八月一日分まで)として合計金三七万七三九〇円を支払ったほか、昭和五九年三月八日から同年五月六日まで六〇日間入院したことも前記認定のとおりであるから、その間少なくとも一日につき一〇〇〇円の割合による雑費の支出を必要としたと認めるのを相当とするので、六万円の損害を被ったと認められる。

2  休業損害及び逸失利益

二四一一万六〇〇〇円

原告本人尋問の結果によると、原告はいわゆる水商売の道に入って約二五年になり、本件施術当時、女性六名、男性二名を雇用してクラブ「アヴイーネ」を経営するとともに自らもホステス(ママ)として接客をもなしていたが右入院期間中は出勤できず、代わりにホステスを一名雇い入れるなどして相当の出費をなしたことは認められる。原告は、右休業期間中店の売上が減少し、経営者兼ホステスとして月額一五〇万円(日額五万円)を下らない損害を被ったと主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに副う部分も存するものの、所得税の申告にあたり自ら過少申告していることを認めながらも、少なくとも右申告書や現実の売上帳簿・売上伝票等裏付資料に基づく立証をしないから右尋問結果をそのまま採用するのは困難であるが、店自体は原告の休業期間中も一か月一〇〇万円を超える売上額の減少はあったものの通常どおり営業していたことや、これに同尋問結果により認められるところの、同店で最も売上実績、収入の多いホステス(経験数年)に対しては月額七、八〇万円、休業期間中臨時に雇用したホステスには月額四〇万円程度の給与を支払った事実をも加味して検討すると、原告がその出勤によって得ていた収益は一か月一〇〇万円を下らず、換言すれば原告の休業損害は一か月一〇〇万円を下らず、したがって入院中における休業損害は二〇〇万円をもって相当と認める。

次に、前記認定事実のほか、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は退院後、店への出勤を再開したもの、本件後遺症の故に、週に二日間は欠勤を余儀なくされるほか、出勤日においても店内を自由に移動したり客を一階出口まで送り出したり客のゴルフに付き合ったり等ができなくなったことが認められ、これによれば原告は出勤して労働する能力の二〇パーセントを喪失したというべきであるところ、前記のように原告がその出勤によって得ていた収益は少なくとも一か月一〇〇万円であり、原告(昭和一〇年九月五日生)は前記症状固定時に満四八歳であり、その職種、経験年数からしてなお満六〇歳まで一二年間は経営者兼ホステスとして稼働することができると推定するのが相当である。

しかして、原告の後遺症による逸失利益は次のとおり二二一一万六〇〇〇円とみるのが相当である。

100万円×12か月×9.215(新ホフマン係数)×0.2=2211万6000円

3  傷害及び後遺症による慰謝料

三五〇万円

原告は、同人が本件傷害により受けた精神的苦痛に対する慰謝料を二〇〇万円、本件後遺症による慰謝料を三〇〇万円と主張するところ、前記認定の事実によれば、原告の被った精神的苦痛には誠に大なるものがあったというべきであり、右傷害による慰謝料は一〇〇万円、後遺症によって被った精神的苦痛に対する慰謝料としては二五〇万円をもって相当というべきである。

4  弁護士費用    二八〇万円

原告本人尋問の結果及び本件訴訟記録によると原告は本件訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任したことが認められ、本訴立証の難易、経過、認容額その他諸般の事情を総合すれば、原告が本件損害として被告らに賠償を求め得べき弁護士費用は二八〇万円と認めるのが相当である。

五以上のとおりであって、原告は義雄の本件診療契約上の債務不履行により同人に対し合計三〇八五万三三九〇円の損害賠償請求権を取得したというべきところ、請求原因6の事実は当事者間に争いがないので、被告らに対する原告の本訴請求は、被告毬子に対し右金額の二分の一である金一五四二万六六九五円、被告明美、被告明、被告輝明、被告陽二、被告光三及び被告暁子に対しそれぞれ同一二分の一である金二五七万一一一五円並びにこれらに対する本件訴状が義雄に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和五九年九月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官古川正孝 裁判官渡邉安一 裁判官牧賢二)

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